モーツァルト生誕250周年〜失望させられたわ、と彼女は言った

アマデウス [DVD]
 失望させられたわ、と彼女は言った。
ぼくはまだ21歳で、彼女はたしか3、4歳年上の、ソウル市内の銀行に勤務するOLだった。子どもの頃から熱烈なモーツァルト・ファンで、大きな期待を胸に、封切られたばかりの映画『アマデウス』を観に行ってきたという。そこで若き日の天才が、奇妙な高い声で笑う、巨乳好きの人物だと知って、大きなショックを受けていた。あの人の音楽を大好きだった分だけ、何か裏切られたような気分ですと苦い表情でつづけた。
 当時、ぼくは彼女に週1回、日本語会話を教えていた。ちょうど、その店がぼくらの教室代わりで、ソウル市の学生街「新村(シンチョン)」に当時あった「アマデウス」という、モーツァルトの音楽が流れる、ヨーロッパ風な内装の洒落たカフェだった。
 そうですか、それは残念でしたね。でも、ぼくはとても面白かったですよ、と彼女に言った。だって、ああいう人物が、わずか5歳でオリジナルを作曲し、8歳でオペラを書いたという、その落差にこそ、人間の不思議さや面白さがあるんじゃないですか。もし、モーツァルトがとても品行方正な人柄で、なおかつ天才作曲家だったら、いかにも過ぎてツマラナイじゃないですかと。
 偶然、ぼくも観たばかりだった。たしか明胴(ミョンドン)付近にある、新しい映画館だった。ハングル文字の字幕を追いながら、すばらしい音響と巧みな脚本にすっかり魅了され、まるで酔っ払ったみたいにして会場を後にしていた。たしかソウル外国語大学の日本語学科の学生らと一緒に観に行っていた。
 だけど、目の前の彼女は、ぼんやりした顔で、何と答えていいのか困っていた。小柄で痩せていて、生真面目だけど、どこか面白みに欠ける優等生っぽかった彼女には、ぼくの話がまるでピンと来ていないらしかった。いや、これだから日本人って理解できないわ、ぐらいに思われていたかもしれない。沈黙を埋めるように、ぼくは日本語テキストを開き、前回の会話練習の続きを彼女にうながした。
 1986年の冬のことだ。この日のぼくは、左瞼の上に四角く切ったガーゼを、テープか何かで貼っていた。前夜、ソウルから高速バスで三時間南下した太田(テジョン)市内の凍った歩道で転倒し、左瞼の上を切り、三針ほど縫ったばかりだった。いまはどうか知らないが、当時のソウルの冬は、寒くなると路面が凍り、通行人がよく転んでいた。この太田での夜は辛いことと嬉しいことが交互に起こり、いまもぼくにとっては忘れられない青春めいた一日だった。
 その後、映画『アマデウス』のビデオを買い求め、いまも大切に持っている。これに『ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ』と『オペラ座の怪人』さえあれば、老後に繰り返し観る音楽映画はじゅうぶんだろう。そして左瞼の傷は、まだうっすらとその痕跡をとどめている。
 1月27日がモーツァルトの誕生日で、今年は生誕250周年。モーツァルトファンの方には、毎日24時間モーツァルト作品が聴ける「Happy Birthday Mozart's」をお勧めします。