「門司おろし」に吹かれて

rosa412006-02-07

「ここは何も、観るとこなんてないよ」
 タクシー運転手の言葉に、思わず声をあげて笑ってしまった。北九州市小倉のビジネスホテルに前泊して、朝、取材先に向う車中でのことだ。その、めっぽう正直な運転手に勧められたのが、門司港だった。小倉駅からJRで15分。レトロ調で観光客を集めているという。
 そのとき、藤原新也さんの写真集「少年の海」の表紙が、頭にうかんだ。 
 だが、飛行機を一本遅らせて、出かけたそこは、まるで棄てられた街だった。それを「レトロ」とカタカナでブランド化して、観光客をおびき寄せようとする詐術が、いかにも代理店のカラフル鼈甲(べっこう)メガネたちが考えそうで、あまりのドンピシャ感に笑ってしまう。そのレトロ地区のすぐ裏側は、半数近くがシャッターの降りた商店街だったりする。
 定年退職組の老人たちが、首からカメラぶら下げて、ガイドのお姉さんに連れられて、悪天候の中で市内観光中だった。棄てられた街、「レトロ」の詐術、日本社会史上最後だろう満額年金組の「余生」。まるでロイヤル・ストレート・フラッシュ並みの「現代絵巻」。
 いや、門司だけではない。いまどき、地方に行けばそんな街だらけだろう。そこまで邪険にされてなお、「純ちゃん改革」に圧倒多数を与える、世界一鷹揚な人たちの暮らす国。
 傘がひん曲がって、思うように前にさえ進めない雨風まじりの門司おろしの中、「もう笑っちゃうわよねえ」とぼくを見てひと声かけて、なお前進する地元オバサンの足腰の頑健さ。関西風ごぼう天うどん500円の美味さ。強風に色めき立つ門司港の濃い深緑色の海だけが、有無をいわさぬ説得力でぼくを圧倒した。「少年」なんてどこにもいなかった。