美濃部美津子『三人噺 志ん生・馬生・志ん朝』〜登場人物になりきる極意

三人噺 志ん生・馬生・志ん朝 (文春文庫) 
大阪人は笑いにはうるさい。ガキの頃から、土曜日の午後、いったん自宅で母親の作るお好み焼きでもつまみながら、吉本新喜劇に笑い、そのギャグを眼に焼き付けてから、クラブ活動が始まる前に、みんなでそのモノマネで競い合う文化で育つからだ。そんな都道府県は大阪以外にないだろう(と思う)。
 そんな大阪人が見ると、近頃のワンフレーズ・ギャグにはまるで笑えない。ナンセンスならナンセンスで、間寛平センセイのように徹底するべきだ。笑いの半径がみみっちいほど狭くて貧相で、それを派手な動き、もしくは直立不動のポーズでの沈黙によって、暗に笑えと強制するような儀式みたいなのは嫌いだ。だいたい、どれもツマラナイ。
 だから、最近は5代目古今亭志ん生の落語を、図書館で借りてきては聴いている。その流れで、この本を読んでみた。笑えて胸もキュンとする一冊だ。あるとき、部屋からボーっと池を眺めていた志ん生が、弟子を呼ぶ場面がいい。
「池の側んとこに、おまえ、鳩が止まってるだろ」
「はぁ、珍しい色ですね、あの羽。何色っていうんですかね、あれは」
「そんなこたぁ、どうでもいいんだよ。俺、さっきから見てんだけども、あすこから一時間も、動かねえんだよ。何考えてっかわかるか、おまえ」
「鳩がですか?さあ、何考えてんでしょうね」
「ひょっとすると、身投げだ」
 まるで落語じみたエピソードだけれど、どうやら志ん生の実の娘である著者によると、実話らしい。こういう想像力の巡らせ方が、感情移入のスタイルが、落語の登場人物に感情移入するコツなのだろう。
 ここまで落語バカになりきれる男と、誰かを軽く笑いとばしてはバカにしている男や女たち。泣きたいから泣ける映画に行き、笑いたいからテレビの貧相なギャグでニヤニヤするバカ。バカにもあれやこれやとある。