上野千鶴子・趙韓恵浄著『ことばは届くか』〜日韓フェミニストの視点に触れる

ことばは届くか―韓日フェミニスト往復書簡 
希望のニート 現場からのメッセージ』を読まれた趙韓恵浄(チョウ・ハンヘジョン)さんが、本の著者の二神さんに会いたいということで、私も二神さんに呼ばれてお会いした。もう一ヶ月近く前のことだ。フェミニストということで、少々緊張しながらお会いしたのだが、とても穏やかで物静かな50代女性だった。彼女は韓国の名門・延世大学社会学科教授。ソウルで、学校に馴染めなかった若者たちが集うハジャ・センターを、ソウル市からの補助金で運営していらっしゃる方でもある。
 それでこの本を手に取ったのだが、人生初のフェミニズム本だ。二人の往復書簡という体裁で、月刊誌『世界』に連載されたものをまとめた一冊。いやぁ、二人とも超インテリで、アホなぼくはしどろもどろで、もう・・・(^^;)。
 ただ、二人の視点はとても新鮮だった。

(かつての『HANAKO族』の台頭と苦闘をふまえて)わたしは彼女たちが、もっとわがままに、もっとふしだらに、もっと自己中心的になればよいと、願ったおのですが、それというのも、女の自己犠牲でささえられてきた子育てや家庭や老人介護が、女が男なみに自己中心的になることをつうじて、はじめて社会的な課題としてうかびあがってくると期待したからです。(上野)

 日本で二○○○年に介護保険が施行されたことは知っていますね。介護保険は介護の社会化へと巨大な一歩を踏み出した「家族革命」のしるしだと、わたしは言ってきました。
 それというのも四○歳以上の全国民が強制加入のこの保険は、実質増税にあたる負担を国民全体が負担することを前提に、「介護はもはや家族だけの責任ではない」という国民的合意をもとに成り立ったものだからです。(上野)

 「子が親を看る美風」という大義名分のもとに、男社会が女性に強要してきた老身の介護が「有償の労働」になったことに大きな感銘を覚えている。そんな視点に接することができたのは、自分の不勉強を棚上げしていえば、ある意味、心地よきカルチャーショックだった。韓恵浄(ハン・ヘジョン)の流麗な文章力も圧巻、翻訳者も偉い。
 女性たちが女性であるということで担わされてきたシャドウ・ワーク(無私の労働)のあり方を改めて実感させる一冊。