『ダークサイドからの逃走』〜全体像なき世の中と向き合うこと(3)

戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界 [DVD]
 英国プレミアリーグベンゲル監督(アーセナル)をもっと甘くしたような顔だちの彼は、その2時間あまり、とても穏やかで気品のある話しぶりだった。
 けれども彼の次の発言に、ぼくはあ然とさせられた。

9・11」のとき、私は世界貿易センターの近くの自分の事務所にいました。あの破壊をどうにか生き延びたとき、自国の、しかも自分が住んでいる街が戦場になっていることに、私はようやく気づいたのです。それまで撮影のために何度となく中東諸国にも通っていて、そこで何がおきているかについて、普通の人よりはよく知っているつもりでした。そうでありながら、その中東で起きていることが、どう私たちの日々の暮らしとつながっているのか。その全体像が私にも見えていなかったことに、「9・11」によって気づかされたのです。

 戦争・貧困・エイズなど「世界のダークサイド」の最前線を撮影している彼の、思いもかけない告白だった。
 1948年、米国ニュ―ヨ―ク州生まれの写真家、ジェームズ・ナクトウェイ。ロバート・キャパ賞を5回も受賞している報道写真家だ。おそらく2m近い長身痩躯の彼は、まるで物理学者のような物腰で、自分が見てきた現実を淡々と、かつ端的に話す人だった。
 今回の展覧会でも数点出品されていたが、被写体ににじり寄るようにして撮影された彼の写真は、それがどれほど悲惨な現実であっても、どれも気品のある絵画のように見える。彼を取材した記録映画『戦場のフォトグラファー』(右上写真)は、2002年米国アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞ノミネート作品にもなっている。 
 先月29日、ぼくが水戸芸術館までわざわざ出かけたのは、彼の講演会にまだ残席があると知ったからだった。ところが、そんなナクトウェイ氏ですら、「9・11」に遭遇するまで、彼の仕事場である戦場と、自分の国での日々の暮らしはつながっていなかった。もはや誰一人、世の中の全体像など見えていなくても少しも不思議ではない。
 その話を聴いたとき、今回の展覧会に出品されたマグダレーナ・アバカノビッチ氏や、先に書いたスゥ・ドーホー氏の作品に、首から上や手足がない彫像が多かったことが、ぼくの中でようやくつながった。分野は違えど、誰もがその全体像なき世の中を共有していた。
 ただ、ナクトウェイ氏は、こんな言葉を付け加えることも忘れなかった。

どんなに悲惨な状況の中でも、強く、たくましく、ユーモアに満ちて生きている人々から、
私はとても豊かなインスピレーションを受けています。