石川寛『好きだ、』〜言葉を削ると、人はそれを探そうとする

rosa412006-05-18

 ありふれた言葉で、観る者の心をどれだけグッと突きさせるか。いい映画やいい本の着地点はそこだ。
 だから、『好きだ、』は、最近なら『エターナル・サンシャイン』以来の、いい映画だった。05年のニューモントリオール映画祭で、最優秀監督賞を受賞したのもうなづける。好きだといえなかった17歳の二人が17年後に再会する、「好きだ」の一言がなかなか言い出せないラブストーリー。 
 台詞を徹底して削られると、観る者は不思議と映画の隅々にそれを探しはじめる。その発見が、我ながら心地よかった。ゆったりと動く雲と空や、風になびく宮崎あおいの長い髪、優柔不断な男子学生のもぐもぐした口の動きや、夕陽との逆光で影のように見える二人が土手を歩く姿に、言葉にならない思いを懸命に読みとろうとする。
 画面の言葉が削られた分だけ、観る側の心の中ではむしろ言葉が増えたり、大きく膨らんだりする。次の本では、ぼくもそんな場面を書いてみたい。
 カメラワ―クもいい。小津っぽい長回しのカメラも、そんなたっぷりと行間のある映画に似合っている。障子の隙間や、レースのカーテン越しといったアングル。目元の毛穴まで見えそうな接写と、影法師にしか見えない引きの映像の遠近感も、登場人物の心象を代弁するかのようでうまい。
 永作博美さん目当てで観たのだけれど、予想を超えるいい映画。当時17歳の宮崎あおいが鮮烈。もちろん、その少女の17年後を演じる永作さんの最後の台詞、気の抜けたビールみたいな「好きだ」がぼくは好きだ。