阿奈井文彦『名画座時代』〜「便利さ」は感動の深さを間引いてしまう

名画座時代―消えた映画館を探して
 みんな、憎らしいほどいい顔をしている。
昭和30、40年代全盛だった「名画座」とよばれた映画館の元支配人やその家族、映写技師、看板技師といった人たちだ。時代の波に飲みこまれて休館した映画館が大半で、わずかに二代目や三代目によって細々と続いている所もある。
 それでもなお、60、70代の人たちはその顔をまさに輝かせて、インタヴューワーである阿奈井さんに当時の話を語っている。その話と写真にうつる表情が、映画がまだ娯楽の花形だった時代をいきいきと伝えている。
 彼らの話を読み進めるほどに、ぼくは自分が彼らに嫉妬に似た感情を持ちはじめていることに気づいた。それは欧米の当時のモノクロ映画を、ぼくが同時代で観ていないことだけではない。まだテレビも満足にはなかった時代に、彼らが映画館の薄暗がりに集い、むしゃぶり尽くすかのように満喫した映画の存在感を、ぼくがどうにも知りえない歯がゆさからだ。
「便利さ」や「豊かさ」は感動の深さを間引いてしまう。
ある期間にその映画館でしか観られなかった映画の希少さ、それを誰かと共有した人たちの体験の深さは、いまやパソコンで無料で楽しめる「映画」では到底たどりつけない。どちらの「映画」が、より心の奥深く鮮やかに残りうるのか。答えは明らかだ。
 ぼくが彼らの年齢になったとき、この本に登場する人たちのような表情で、映画について朗々と語りつくせる自信がない。
 一方、当時の映画ポスターやラインナップなどのドキュメントをふんだんに折り込みながら、淡々と、かつ少しお茶目に、名画座の人々の話をつづった阿奈井さんの文章もいい。適度に枯れている文体に、ときおり混じる人間臭さをたたえた一文が絶妙な陰影をもたらしている。まだまだ浅ましい自我が顔をのぞかせてしまう自分には書けないな。阿奈井さんは一貫して、普通の人々が放つ輝きや哀愁を、ルポルタージュという手法で描いてこられた方だ。朝日新聞に作家の重松清さんがこの本の書評を書いている。
 ぼくは大学一年のときに、面識のないまま阿奈井さんに手紙を出している。
その秋、阿奈井さんが当時の「朝日ジャーナル」に書かれた記事がきっかけだ。それは韓国のハンセン病患者たちが暮らす村で、日本と韓国の若者たちが行った労働キャンプについてだった。海外から日本を見たいと思っていた当時のぼくは、キャンプへの参加方法を尋ねる手紙を、編集部気付で出したのだ。阿奈井さんから返事が来たときの喜びを、まだぼんやりとした映像とともに覚えている。
 あれからぼくは韓国で一年間暮らし、あの国で今の仕事につくことを心に思い描いた。今から思えば、人生の分岐点となる手紙だった。