斉藤淑『紅い桜』〜本というメディアにこだわる人間の肝(きも)

紅い桜 
 東京駅から横浜へ向う東海道線の車中で、その本を読みながらがグッときた。ぼくはあわてて本から目を離し、車窓の風景をながめた。出版エージェント・鬼塚忠さんから送っていただいた『紅い桜』(講談社)だ。
 戦後、来日していた中国人留学生と結婚した日本人女性(斎藤さん)の数奇な人生をたどった一冊。中国に渡って文化大革命に遭遇。中国人の夫を日本のスパイ容疑で奪われ、幼い子どもとも引き離され、彼女が地方都市で労働改造(過酷な労働によって思想を改造する)を命じられたときの場面だ。
 第二次大戦時、「伝説の抗日ゲリラ」と呼ばれた男が、懸命に過酷な労働に立ち向かう斎藤さんにこう話す。

「日本国人民と日本帝国主義、日本軍国主義は別です。日本の人民に罪はない。延慶農場でのあなたの労働姿勢は本当に立派だった(後略)・・・」

 そして男は、彼女の手を両手で握りしめる―。
 一人の日本人女性の視点から語られる、毛沢東による「文化大革命」という名の魔女狩りが、じつに些末なディテールを丹念に拾いながら、精緻に描かれている。大文字の「歴史」ではなく、一人の無名な女性の「軌跡」だからこそ、切実に胸に迫ってくるものがある。同時に、聞き書きとして本作りに参加している鬼塚さんの想いもビンビンと伝わってくる。
 歴史に翻弄され、揺れ惑いながらも誰かを愛し、その愛を強く信じることで危機をも克服しようとする人間の強さ。その懸命に生きる普通の人の持つ輝きにこそ焦点をしぼり、それを今を生きる人たちに伝えようとする想い。それが本というメディアにこだわる人間の肝(きも)だから。それを読んで、思わず車中で胸を熱くしたぼくは、大きなエールをもらったような気持ちになれた。また、全部読んだら感想を書きます。