美しい敬意と憧憬

rosa412006-07-02

 それはホイッスルが鳴りわたった後だった。
 ブラジルのシシーニョロビーニョが、次々に一人の男に歩み寄った。自分たちを1対0で下したフランスのキャプテン、ジダンのもとに。負けてすぐに相手チ―ムのキャプテンに、まぶしそうな顔で抱きつくとは何事だ!―そう批判する下種(げす)な人たちがいるだろう。
 だが、ぼくはそのとても美しい敬意と憧憬の場面にうっとりした。世界最高レベルの戦いで敗れた若手選手たちが、思わずジダンに歩み寄り、祝辞を伝えなくてはいられないほどに、この夜のジダンが素晴らしかったということだから。どちらも、名門レアル・マドリードではジダンの若きチームメイトだ。
彼らは将来、今以上のス―パ―スターに成長した自分たちが迎えるだろう有終の美を、その男の背中に重ね見たにちがいない。だから彼に抱きつきたくてたまらなくなった。それはひと握りの人たちだけが見ることを許された甘美な夢である。すでに高いレベルの人たちだからこそ、あれほど率直な表現になった。
 なぜなら嫉妬や怨恨は、そのレベルには達することができない、下種なヤツラの最後っ屁だから。ヨダレを垂らした責任者探しのハイエナたちが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する、どっかの「村社会」国みたいに。あるいは「この大会で引退するのは惜しいですね」と、ジダンにしたり顔で問いかけるインタヴューアたちみたいに。