野地秩嘉『芸能ビジネスを創った男〜渡辺プロとその時代』〜人間が匂い立つ場面(シーン)の必要性

「芸能ビジネス」を創った男 ナベプロとその時代
 たぶん、映画やテレビドラマといった映像化を抜きにして、ノンフィクションは採算がとれないと思う。取材テ―マ探しの時点から、映像化を考慮して取り掛からないといけない。売れないといわれる出版業界の中でも、さらに売れない分野だから。
 そういう意味で興味深く観たのが、先月、フジテレビで2日間にわたって放送された、渡辺プロダクションの創業者、渡辺晋の軌跡を追ったドラマだ。柳葉敏郎が渡辺を、美佐夫人を常盤貴子が演じていた。テレビの黎明期に輝いた同プロダクションは、いち早く給料制をタレントにも導入し、レコードの原盤制作権などを保有することで、安定経営の基盤作りに先鞭をつけた。
 だが、実業界からは長く格下扱いされ、渡辺は政財界との交流を深める一方で、海外進出をはかり、紫綬褒章を受賞するに至る。先のドラマはその軌跡にスポットを当てていた。脚本は矢島正雄氏ゆえか、渡邊の気骨や無念さをうまく映像化していた。
 そのドラマで参考資料としてテロップが流れたのが、野地氏の『芸能ビジネスを創った男』。よく取材されているし、時代考証も挿入されていて、構成にも無駄がない。ただ、残念ながら、ぼくは読みながら一度もグッとこなかった。その理由は、本の巻末に改めて、彼の軌跡と業績を総括するような文章を載せざるを得なかったことからも見てとれる。

 渡邊晋は昭和の芸能界で革新的な仕事を残した。しかし、彼自身は普通の人だった。芸能界のような腕力が必要な世界で大きな仕事をしたにもかかわらず、血沸き肉踊るような武勇伝があったわけでもないし、彩りのあるエピソ―ドを残したわけでもない。

 その男は、物語めいた破天荒さとは対極の場所で生きていた。それは書き手にとっては厳しい。
 たしかに、エピソ―ドはいいものを掘り当てている。たとえば、天地真理の「恋する夏の日」の企画会議で、テレビ衣装をテニスルックにして、ラケットも振らせると提案する社員を褒めながらも、「そのテニスコートだが、場所はどこだ。軽井沢かそれとも山中湖か」とさらに厳密なイメ―ジ作りを求める場面など、いつくかある。
 だが弱い。読み手にその人間味が匂い立つ光景、もっと言えば時代の空気をも想像させる場面(シーン)が足りない。それはすでに他界している人物をテ―マにするときの、大きな難点だ。「普通の人」で、「その人間味を感じさせずにはおかない光景」がないと、読む者の心を鷲づかみするにはかなりの困難がともなう。