おぼれかけクロールの彼女

 わすれられない光景がある。
 もう10年以上まえのことだ。プールで、おぼれてるのかと思うような調子で泳いでるおばあさんがいた。クロールのかき手が、水中からぬかれふたたびさしこまれるまで、7、8秒もかかっていた。遠めにみていると、まるでおぼれた人が助けてぇと救いをもとめているかのようだ。どうにかこうにか、反対コースの終わりまでたどりついて、立ち上がった顔をみると70代年配のおばあさん。聡明で上品そうな顔立ち、水泳帽から白髪がのぞいていた。何よりその表情は気迫にみちていた。
 あの日のぼくには、彼女がとてもかっこよく見えた。
 あの年齢で何か好きなことをもっている人は多くない。趣味をもっていても、その大半は何か得意なことだろう。それならつづけられる。けれど彼女はあきらかに苦手なことに一人黙々といどんでいた。彼女の年齢になったときに、自分が苦手なことにああしていどめるんだろうか。そう考えると、とても心もとなくなり、おぼれかけクロールをつづける彼女のすごさをあらためて思い知ることができた。美醜でも、家柄でも、経済力のうむでもない、裸ん坊のにんげんのかがやきだ。
 きょう、ぼくはキーボードで「さくらさくら」を30分ほど練習した。
 譜面に音階をかきこみ、指番号と照合しながら、簡単な旋律を何度もくりかえす。すると音階だけでなく、指番号があることで弾く助けになることがわかった。鍵盤など見ずにピアノを弾ける人からすれば、アホらしいことだろうけれど、ぼくにはどきどきする発見だ。はずかしながら、まだ鍵盤を見ずに両手でドレミファをまちがわずに弾きこなせない。それぞれ低音のドから始まって、ふたたび高音のドから往復する間に間違えてしまう。ふたつの手の指に別々の動きをさせることが、これほどむずかしいことだとは知らなかった。自分がバカにおもえてイラついてしまう。やる気がなえる。
 そんなときにぼくはきまって、あのおぼれかけクロールの彼女を思いうかべる。