法事にみる女性たちの物語る力

「この人ったら、ほんと出不精だからね。私、どっこも連れて行ってもらったことないよ」
「でも、うちなんか休みの日は競輪とか出かけるから、私は一人で家で好きなことできるわけ。夫婦でいたって話題なんてないから、そっちの方が助かってるわ」
「そうかしらねぇ。でも糖尿病のクスリ飲んでるのに、やたらと大食漢なのよ。ほんと、頭きちゃうの」
「最近、50歳から80歳まで入れる保険ができたらしいじゃない。今からでも、その保険かけときゃ、それで済む話よ」
 この日の法事の感想から始まり、ダンナや子どもたちの話、人なつっこい犬の話と脈絡もなく、話題は縦横無尽に行き交い、途切れることがない。ある法事を終えたあと、ある家にひさびさに集った60、70代の女性たちの話を聞きながら、まるで向田邦子さんのドラマみたいだと思った。
 いや、むしろ向田さんの脚本より脈絡がない分、物語としては優れているともいえる。思いついたことを誰かが話すと、他の人がそれに呼応して、ひとしきり言葉が交わされると、唐突に次の話題が投げ込まれて、話はうつろっていく。新参者として黙ってその会話を聞きながら、ぼくは思わずうっとりしてしまった。こういう言葉のやりとりは、なかなか考えても書けるものじゃない。男の話はどうしても流れや理屈にとらわれるから、こう節操無く(あるいは縦横無尽には)展開できない。清少納言の昔から、最近ここでも書いた江國香織さんの自作朗読までもが、鮮やかに思い出された。女性たちのその奔放に物語る力に、どうしたら近づけるのか。