宇多田ヒカル『DISTANCE』〜「一人じゃ孤独を感じられない」という感性(3)

Distance
 「だって・・・」「待って・・・」「分かって・・・」とダンサブルに韻を踏む『Wait&See〜リスク〜』から始まる二枚目のアルバム『DISTANCE』。アルバムタイトルでもある3曲目の『DISTANCE』だけでなく、男女の距離感にとどまらず、未来のあるべき自分への、あるいは喜びと悲しみの距離感が、さまざまな視点から歌われている。わずか18歳にして、作品のポピュラリティと普遍性を見事に共存させている一枚。
 冒頭のヒットチューンからバラードをへて、中盤の「Addicted To You」から、「For You」「蹴っ飛ばせ!」の濃密なR&Bがカッコイイ。その中でももっとも、ぼくがグッときたのは「For You」。

ヘッドフォンをして
ひとごみの中に隠れると
もう自分は消えてしまったんじゃないか
と思うの

自分の足音さえ
消してくれるような音楽
ケンカのことも君をも忘れるまで
踊っていたい

散らかった部屋に帰ると
君の存在で
自分の孤独確認する

誰かの為じゃなく
自分の為にだけ
優しくなれたらいいのに
一人じゃ孤独を感じられない
だから For You
強くなれるように
いつか届くように
君にも同じ孤独をあげたい
だから I sing this song for you

この「一人じゃ孤独を感じられない」と「君にも同じ孤独をあげたい」
という二行が光っている。
 孤独には2種類ある。一人一人が100%死ぬ存在であるという絶対的なものと、家族や恋人といっ他者との関係の中で感じる相対的なもの。18歳の頃のぼくは、やるせないほど無目的にふくらむ股間を持て余していて孤独だったが、彼女はすでに「一人じゃ孤独を感じられない」と歌っている。だから「君にも同じ孤独をあげたい」と歌わざるをえない。42年間生きてきて、ぼくはこんなラブソングをあまり聴いたことがない。
 さらに歌詞はこう続く。
「誰かの為じゃなく 自分の為にだけ歌える歌があるなら 私はそんなの覚えたくない」
「悲しみで教えてくれた喜び」
 悲しみと喜びの「近さ」と「遠さ」をギュッと凝縮させた部分など、宇多田式「ラブソング」論かとさえ聴こえてくる。その冴えざえとした洞察力の賜物であるラブソングの名曲を、そんな定義をさりげなく忍ばせてフェイドアウトさせてしまう遊び心。もはや完全無欠のポップソングである。
 その自己言及ぶりは、このアルバムの最後の曲『言葉にならない気持ち』にもうかがえる。
「よろこび 悲しみ 感動 せつなさ いろいろある毎日の中でも いろんな気持ちははじめてなの」と、ソングライティングの核心が、朗読とメロディの中間のような旋律に載せて彼女によって歌われるとき、この人はなんでも歌にしてしまえるにちがいないと感づいた。
 そして三島由紀夫の小説を写し書きしていた頃のことを、ぼくは思い出した。
 この流麗な文章はペン先で生まれている、ある日、ぼくはそう直感する。谷崎や川端の小説を写し書きしているときに、そんなふうに感じたことは一度もない。もちろん、三島とて大まかなプロットや構成はあっただろう。だが、あの湧き水のごとくに噴出する絢爛豪華な文章は、とても頭(ロジック)で書いているとは考えられない。おそらく宇多田ヒカルの唄も、歌詞と旋律はほぼ同時に、彼女の唇から生まれている。(今後もつづく)