第3回「庭園倶楽部」(in ワタリウム美術館)〜書院造りと数奇屋造り

 平安時代寝殿造り<だだっ広いワンルームを、衝立(ついたて)や屏風(びょうぶ)などで仕切る貴族の住居>から、鎌倉時代になって書院造りと数奇屋造りに別々に細分化していく過程を学ぶ。
 書院造りが、武家が公式行事などを行う「表の間」だとすれば、数奇屋造りは、もっとカジュアルに私生活をするための「奥の間」だったらしい。スライドで見ると、書院造りは、京都の二条城のような絢爛豪華さを誇り、数奇屋造りは、同じく京都の桂離宮のように簡素で風流を感じさせる。数奇屋の数寄は「もの好き」に通じ、16世紀ごろなら茶道などの芸能の道を究める人たちを指した。
 笑ったのは、四国の高松の数奇屋造り。天井がまるで曲がった木の枝一本で支えられているように作られている。講師の方の説明によると、本当は屋根が頑丈にできていて、木の枝など何の補強にもなっていないという。つまり、フェイク(紛いもの)、というかジョーク。書院造りは、その部屋ごとに細かい装飾品の違いで、上座に座る権力者との身分の違いをあからさまに序列化した公的空間。一方、別荘などの私的空間で使われた数奇屋造りは、まるで正反対の空間として発達していった。その風流さやユーモアで、センスを競ったのだろう。
 それは武士階級が台頭し、朝廷をはじめとする公家が閑職に追いやられる社会情勢で、その公家らが競って、そんなユーモラスで遊び心満点の住居を作っていたらしい。そこに社会の、ある種、健全なバランス感覚を思う。度を越した成果あるいは効率主義が幅をきかしているからこそ、数寄者の心意気が求められている。