ウォーキングからかんがえる「いちじがばんじ」

 このみっかかん、よるがとてもすずしい。
 だから、よるのじゅういちじから、さんやれんぞくでウォーキング&ランニング。ゆうほどうをわたるかぜが、とてもここちいい。こんやは、うんどうぶそくのおくさんをさそった。ところがやぶへびだった。
「なんか、からだがみぎがわにかたむいてるよ」
「どうもりきみすぎて、ぴょんぴょんとびはねながら、あるいてるみたいだよ」
「ほら、ひざのばして、かかとからつかなきゃ」
・・・・・・うんどうぶそくなよめに、すっかり、だめだしされまくるおれ。な、なさけない。
 でも、くやしいけれど、かのじょからそうしてきされるまで、じぶんではまるできづかなかったことばかりだ。それでも、くやしい。そう、りきみすぎるんだ。ふつうにあるいているぶんには、あしのおくりはきれいなのに、ウォーキングがはじまると、りきみがはいって、ひざがあがって、ぴょんぴょんはねてるようなあるきかたになる。そう、なにごともささいで、かんたんなことこそがもっともむずかしい。
 さいきん、ぼんやりと「だつりょく」というテ―マにはきづいていて、あるいてるときや、でんしゃのなかでたっているときなど、いしきしてふくしきこきゅうをしてだつりょくしているのだが、それでもなおこのありさまだ。
 しかも、それはげんこうのかきかたや、ひびのくらしかたにもつながってくる。それもまたくやしいが、まぎれもないじじつだ。きんちょうとかんわ。ウォーキングからかんがえる、じんせいこれ、いちじがばんじなり。