宮崎吾郎『ゲド戦記』〜少々小ぶりで、リアリティに欠ける

 先日まで修行かつ取材していた牧場から、19歳の男の子が上京。うちに泊まってもらい、六本木ヒルズ見物と映画鑑賞。彼がアニメ好きなので、毀誉褒貶の『ゲド戦記』を観る。かなり時期外れなんだけどさ。ニ―トや引きこもりの増加を踏まえた主人公設定(心の闇を持つ父親殺し?)で、旅と出会いを経ながらのグローイングアップ物語。
 ただ、脚本そのものが少々小ぶりで、敵役の魔女や城もなんかチャチイ。城そのものは見た目は立派だが、警備はやたら手薄だし、家臣たちの人数は10人にも満たない。戦闘場面も淡白で、クライマックスも拍子抜けするほど呆気ない。メッセージが頻出する割に、それを補強するべき場面ごとのディテールが陳腐だから、どうも観ていて感情移入しきれない。ぼくにとっては反面教師な作品。
 あえて挙げれば、最後の方で龍の背中に乗って主人公が天を翔ける場面を、龍や主人公を一切映さず、主人公の目線でとらえた風景の変化だけで、その飛翔するさまを表現してみせた点が新しかった。
 もうひとつは、夜明けの太陽を背に突然、龍が登場した場面を、鑑賞後に19歳が「天照大神を投影してるとぼくは観ましたね」と評した一言。天(あま)を照らす場面から、それを想像したという彼の感性に驚かされた。だって、オジサンはな―んも感じてませんでしたから(;^^;)。彼によると、龍はそもそも国の守り神なんだって。ちなみに、どっかの龍は、家庭の平穏さえなかなか思うように守れないショボ男なんだけどね。