「どうすればいいですか?」ってどうよ?
「どうすれば、○○になれますか?」
「○○になりたいなら、どういう方法が一番早いですか」
そういう質問を平気でする人たちがいる。
さまざまな分野で活躍している人がゲストの、テレビの公開トーク番組などを観てるとかならずいる。たとえグーグルやヤフーであっても、それはうまく検索できないからか。
ぼくは不器用だから、その「どうすれば?」を片手にあっちこっちウロチョロしてきた。ウロチョロしすぎて、43歳にもなってしまったから、けっしてホメられる話ではない。ずいぶん道草だらけで、効率悪いこと甚だしい。
だが、そんなぼくでも、自分の「どうすれば?」を他人に訊こうなんて考えたことは一度もない。それは他人から与えられるものじゃない、が前提だったからだ。そこで自分なりに試行錯誤することが、自分を創っていくことにもつながる。職業選択だけにとどまらず、生きてる間じゅう、その試行錯誤はいろんな局面でずっとついて回る。
今日もある人と話していて、その話になった。
「最近の若い人は、情報は与えられるもんだと思い込んでる。でもさ、他人の頭の中にある情報なんて、その時点でもう二番煎じで、何も新しくないよ。それに、『どうすればいいのか?』は、それぞれが自分の手で勝ち取るべきもんじゃない!」
まっ、ぼくの場合は「勝ち取る」ほどのレベルには届かず、「なんとかつかんだ」程度なんだけどね。たぶん、学校でも家庭でも、その「どうすれば?」の大切さは教えていないんだろうな。世界史や家庭科の未履修問題より、ずっと大事で、深刻な話だと思うんだけどね。