技術に走って品性を欠く

 ワタリウム美術館庭園倶楽部最終回。テ―マは、茶庭において再生された燈篭(とうろう)の変遷だった。ちなみに、寺社で使われていた灯篭を茶庭で最初にリサイクルしたのは千利休織田信長から豊臣秀吉に権力者が移り、世の中が華美や絢爛を重宝するようになる中で、千利休は質素な茶室と、精神性の強い茶道の確立によって反発してみせた。千利休は当時のカウンターカルチャーの旗手だったことになる。
 また、鎌倉時代質実剛健な燈篭にくらべて、江戸期になると加工技術の進歩によって装飾が増えていたずらに華美、あるいは巨大化に走ったという。しかもどれも現代の視点で見ると、鎌倉時代と比べてれば、作品として俗悪なものが多いという―庭園研究家の重森千青(ちさお)さんの指摘だ。時代が進むからといって、けっして進化するばかりではないとはじつに示唆的だ。
 石や岩の目に沿ってノミを入れ、割りながら作られた燈篭の方が、曲がりなりにも切断道具が発明された時代より作品の質は高かったという。江戸時代に入ると戦乱がなくなり治安が安定、燈篭を華美あるいは巨大化させる潮流が強まった。燈篭に自己顕示欲を反映させてしまい、俗悪化が進んだせいだという。
 技術に走って品性を欠く。それは「技術」を「情報」とおきかえても平成の日本に通じる話だ。燈篭の変遷が現代につながってくるとは、予想外にスリリング展開だった。