稚加榮の昼定食と市立美術館で「満腹」の昼下がり

rosa412006-12-06

 博多取材のお土産は昔から、料亭「稚加榮」のつぶ出し明太子(写真上端)。だが、お店に行くのは久しぶり。今回は偶然、ホテルから徒歩約5分だとわかり、混雑をさけてと午後1時すぎに行ったのだけれど、老若男女で満員盛況だった。素材はどれも新鮮で上品な味付けで1200円、加えてご飯お代わり自由(^^)。しかも、ぼくの好きな明太子が食べ放題の特典つきである(^^)(^^)。
 当日はこちらに来てから初めて、ぽかぽか陽気だったので腹ごなしに15分ほど歩いて、大濠公園内にある市立美術館へ向かう。近・現代の常設展は200円だが、このコレクションも稚加栄の昼定食に負けず劣らずの充実ぶり。海外画家ならダリ、ユトリロ、ミロ、ルオー、ダリ、ウォーホールシャガール・・・。
 ただ、ぼくがひとしきり見入ったのは萩原守衛(碌山)の『抗夫』と、藤田嗣治の『寝室の裸婦キキ』(複製画?)とどちらも日本人の作品。萩原の『抗夫』は、分厚い胸板と西洋人ばりに彫りの深い顔の胸像。その表情が愁いと葛藤を感じさせ、「生活」と「理想」とのギャップがテーマだと思われる。その普遍性がぼくの胸をうつ。
 葛藤はできれば避けたい、誰もが平穏さと安定の中で暮らしたいと願う。けれどこの作品と向き合うと、葛藤のもつエネルギーこそが観る者を共振させずにはおかない。その不安定な中でこそ、人は真に命をたぎらせて生きているからだ。そういう視点に立てれば、葛藤とはより良く生きるための好機ということになる。
 藤田の絵は、その独特な乳白色がすべて。シャガールの青を「シャガリアン・ブルー」と呼ぶなら、「ムッシュフジタ・ホワイト」とでも呼ぼう。それが西洋画の裸婦像と浮世絵の要素を混ぜ合わせて、今なお朽ちない独特なパワーを放っている。
 この絵の何に心打たれるのか―しばらく考えてたどり着いたのは、見たことのない乳白色と唯一無二の作品であることの強さ。パリの寵児といわれた80年以上前の作品にもかかわらず、今もぼくの胸を打たずにはおかないのだから。
 その藤田を「村八分」にしたかと思うと、今度は戦争協力の罪を一身にかぶせて知らんふりを決め込んだ日本画壇の卑しさが改めて思い出される。そして数年のフランス滞在をもって「洋行帰り」の看板で日本画壇の「重鎮」とやらに滑り込んだヤツらのちんけな作品は、別のコーナーに並んでいる。その卑しき構造はけっして昔話ではない。