10キロ完走パチパチパチ

 わずか45分弱とはいえ濃密な時間だった。
博多・大濠公園、午前6時58分。最初の1キロは4分11秒。前半5キロは1キロ5分ペースで入るつもりで軽く走ったのに速すぎる。4キロ辺りで4分30秒前後にペースが落ち着いたので、予定より速いがそのままのスピ―ドを保つことにする。
 それでも少しくたびれると、実生活同様に目線は自然と落ちて足元近くを見てしまう。ぼくは慌てて30m先に目線をあげ、アゴを引き、胸を張って両肩の力をぬくことで前傾姿勢をとりもどす。「5キロでやめてもいいんだぞ」―今度は弱気の虫が耳元でそうささやきかける。
 肉体より先に心がゆらぎだす。その気持ちを振り払おうと、ペースをあげようとするのだが、今度は身体が自由に動かない。1キロ4分30秒のペースになれると、手足がまるで鎖でつながれているようにそこから抜け出せない。
 走るペースを落すことは簡単で、その反対は強靭な精神力を両手で振り回すほどの覚悟がなければ難しい。そんな葛藤の最中、ランニングコースを雑談しながら横一線になって歩いている無神経なオバハンどもの集団にイラッとくる。もう一人の自分が、平常心平常心、アホは無視しろと、余裕のない自分をなだめにかかる。強気と弱気、短気と自制心が交互に表れては消えていく。走ることはそこまで自分を裸ん坊にする。
 そうして9キロまできて、今度は数日前に見た萩原守衛の『抗夫』の映像を思い浮かべてみる。葛藤こそが現状を打ち破り、己(おのれ)を高みへと引きあげてくれる推進力なんだ、と心の中でさけんでみる。新たに書くべき本は見えている、だが日々を生きる金の算段はつかない、だからこそその葛藤を前進するエネルギーに変えてみろ、自らをそう叱咤して引き腕と肩甲骨に力をこめ、両方の膝頭を引き上げてゴールをめざす。
 10キロ完走、44分27秒。1キロ4分30秒のペースを若干上回った。ただ、このペースで20キロ超はまだ走れないな。走る終えるやいなや、オエ〜ッとうめいた。吐き気を催したのだが、何も食べていないので戻すものがない。10月中旬からへっぴり腰で走り始め、はじめての10キロ完走の達成感につつまれながら、オレってカッコイイ、オレってスゴイ!と何度も何度も唾も飛ばさんばかりの勢いで心の中で繰り返した。心臓はどくどくと脈打っている。