オレはオレの死を死にた―い!

「バッカじゃねぇ―の!」
 通りがかりのニィーチャンがそう吐きすてた。ずいぶんショボツラそうな顔で、大晦日のひるまにオレが走ってたせいかもしんない。ただマジでしんどかったからふり返る余裕もなくてさ、そんな侮蔑もどきの空気をかろうじてコートーブでかんじたよ。
 だけどねニィーチャン、あいにくホメ言葉なんよ、それ。
 バッカみたいになりたくてもなれないお利口さんには、たぶんわかんねぇ―と思うけど。何事もシャにかまえて、クールに何かアクション起こしてるヤツらの揚げ足ばっかとってヒヒョ―ばっかしててもさ、アンタらのイノチやジンセ―はただの引きこもりだからさぁ。クソの役にもタたねぇ―ってわけ。生きてるフリしてるけど、すでにアンタら死んでんのよ。自分が世界一お利口さんってな顔で生きてるアンタらにはさ、一生わかんねぇ―と思うんだけどね。せいぜい、大晦日の格闘技でも観て他人の闘う姿にエキサイトしてる程度の借り物キョーソーだから。
 だけどオレの走りはたしかにサイアクだった。
 それはいさぎよくみとめる。最初から向かい風でさぁ、膝から下は30分走ってもぜんぜん温まらねぇーしさ。まるでスローモーションみたいに、ぜんぜん進まんかった。28日に横浜の山下公園から港の見える丘公園までかけ上がったときは、すんげぇカイチョーだったのが嘘みたいに、身体がうごかなかったよ。ちょうど真っ赤な朝日にむかってはしり、港を眼下にふみつけるみてぇーに坂道あがってたオレはどこ行ったのよ?みたいな気持ちだったよ。
 でも、だからリアルなんだ、イノチなんよ。タイチョーもテンコーも毎日ちがうし、その組み合わせでイノチだって日々うつろってるわけだから、コーフチョーの波があっていいわけ。それが何よりオレをケンキョに、シンシにしてくれて、たましいを磨きあげてくれる。甲本ヒロトも歌ってんじゃん、オレはオレの死を死にた―い!って。アンタの死は、いったい誰のモンなんだよ。