岡本太郎記念館「太郎の中の見知らぬ太郎へ」展〜偉大なるマンネリズム

rosa412007-01-11

 たぶん多くの人が、野球の上手い人がプロ野球選手になり、その中でも秀でた選手が大リーグをめざすと思っている。それは歌手でも、作家でも、画家でも同じだろうと。
 だが、岡本太郎の絵を観ながら、少なくとも岡本はその順番が逆の人だと思った。命を燃やして生きたいという強い衝動がまずあって、あくまでその方法論として絵があった人だと。
 今回の「太郎の中の見知らぬ太郎へ」展に惹かれたのは、美術評論家椹木野衣さんが、岡本の作品をジグソーパズル風のピースに分解した上で、それを任意にシャッフルして展示するという趣向。音楽でいうリミックスを、太郎の絵画作品で試みた点だ。
けれど、ぼくが原画をくわしく知らないせいもあるが、リミックスしてもしなくても、その作風に大差はないように思える。その再構成された絵を観ていても、何かを描きあげるというより、自分の内側で燃えたぎる生命力を吐き出した嘔吐物という印象をうける。それはどうリミックスしても、「岡本太郎」なるものの金太郎飴にしか見えない。
 これは批判ではなく、ぼくはむしろそこに憧憬をおぼえる。
 岡本太郎本人がその作品をふくめて誰にもまねできない「型(フォルム)」として生き切った人だから。何事も先達の型を真似ることから始め、そこから逸脱しようと試行錯誤する中で自分の作風をつかみとる。けれど岡本は誰を真似ることなく、自ら獣(けもの)道を歩み、その生き方と作品を「型」にまで昇華しえた。もちろん、それは寒々とした孤独に耐えてこそでもあろうか、それができる人はいつの時代も少数派だ。
 サザンの歌しかり、イチローのバッティングフォームしかり、「型(フォルム)」とは偉大なるマンネリズム、いわば金太郎飴。ただ、ダサいマンネリではなく、人を惹きつけてやまない偉大なるマンネリだ。(写真は表参道の記念館内にある太郎氏の作業場)