『敬愛なるベートーヴェン』〜芸術至上主義の交歓を描く野心作 

スローモーションで、さまざまな画像をシェイクする導入部がユニ―ク。『敬愛なるベートーヴェン』を最後まで見ると、この導入部に監督が込めた意図が明らかになる。日比谷シャンテで去年『冷血』を観た際、夫婦で観られそうだと前売券を買っていたのに、気がついたら翌日が上終日であわてて観た。
「第九って、こんなにカッコ良かったのか!」
 それが第一印象。あのダダダダア〜ン!のイメージが強すぎて、あんな前奏から展開していく交響曲だとはしらなかった。しかも、そこがドキュメント調でとても臨場感がある。今度ちゃんと聴いてみたい。この演奏場面で、耳の聞こえないベートーヴェンを、舞台上の見えない場所で女性写譜師が手助けする。そこを芸術を介して二人が交歓する、いわばセックス描写として位置づけている点が面白い。ただ残念ながら、映像の編集が少し陳腐な部分があって安っぽい昼メロ調になっていて、その場面の音楽もふくめた全体の高貴さを損なっている。 
 ただ、芸術を魂のエクスタシーとして描こうとするチャレンジ精神には拍手を送りたい。写譜師役のダイアン・クルーガーがふいにメガネを外す場面の使い方とか上手いし。
 映画『アマデウス』同様に、大作曲家の奇妙で下品な人間像と、神々しいその作品の誕生過程をパラレルに描いているのもいい。得てして偉人モノは、その人物像に焦点が当りすぎて、その作品の輝きがないがしろにされてしまう場合が多いから。
 作品の体裁をそつなく整えることではなく、全体像を損なわずに、むしろ破れ目やほつれた部分をいかに巧みに折り込んでいくのか。それらをこそ、作品という熱きエネルギーの固まりの、たゆたう飛沫(しぶき)にまで昇華できるのか。ぼくにとっても大いに参考になる。