NHKハイビジョン「白洲正子の愛した日本」〜1000年前を慮(おもんばか)る眼光

 日本じゅうが東京五輪に沸いていた1964年、白洲さんは一人、いにしえの近江京の残り香をかぐように、近江地方の民衆文化や祭りなどを取材して回られていたという。その孤高なる精神の在り様がかっこいい。
 関が原を突っ切る真新しい新幹線を見下ろしながら、「わたしは一千年前の日本をたどっているのだ!」と勝ち誇ったように語られたらしい。そのエピソ―ドが2時間の番組中で、もっとも胸に響いた。彼女は千年の時空をこえて受け継がれた文化や風習にこそ、日本のすぐれた精神の「型」を再発見しようとしていた。ここでの「型」は単なるフォルムではなく、精神をもふくめた「存在」「在り様」だったらしい。
 中途半端な白洲ファンにとって、この視点は新鮮だな。一方、白洲さんが4歳から傾倒した「能」と彼女の文章表現の関係は、どうやら深く通底するものがあるらしい。能もきちんと観た方が良さそうだ。
 07年早々の家族も企業もどろどろと溶解するばかりの「美しい国」の萌芽は、おそらく東京五輪を起点とする「高度経済成長神話」にあったように思える。「物欲」と「豊かさ」を履き違えた起点という意味で。そう考えると、白洲さんの慧眼は凄まじいばかりだ。