NHKハイビジョン「立川談志71歳の反逆児」〜枯野にひらく孤高の紅梅 

rosa412007-02-20

 5、6年前か、2回ほど立川談志の落語をじかに聴いたことがある。演目は忘れたが、1席は殿様と町人との掛け合いだった。事細かな内容も忘れた。ただ、印象として鮮烈に残っているのはその人間観だ。
 町人相手にざっくばらんに話しながらも、ついつい沽券や見栄に逃げ込んでしまう殿様の滑稽さを笑う筋立て。けれど笑われる殿様が憎めない、いや、もっといえば人間臭くて、愛嬌まで感じさせた。型どおりの勧善懲悪を突き破り、社会的階級など引っぺがされた裸ん坊の殿様が、物語の中で震えていた。 落語でそんな人物造形をする人を初めて観た。その衝撃だけは忘れない。談志さんがいう「人間の業(ごう)の肯定」を突きつけられたのだと思う。ところが、2席めはあまり印象にない。
 ぼくにはそのブレだけが残っている。
 還暦をすぎ、70歳をも越えた今、彼は時々、噺の一部が頭から飛ぶ。あるいは、笑うべき箇所ではないところで、ただ笑う客への怒りがつのる。そんな大衆と向き合っている、「笑わせ屋」の自分が許せない。その葛藤と失望、とはいえ高座に上がると生き生きとかがやく演者となる彼を、カメラは丹念に追っていた。
「結局、趣味が落語なんだよなぁ」という談志本人のひと言が、枯野にひらく紅梅のようにブラウン管から響いた。なぜか甲本ヒロトが「やさしいっぽい人って、大体嫌な人が多いじゃない。でも、あの人はほんとやさしい人だと思う」と談志さんについてコメントしてたのが可笑(おか)しかった。
 凡才は凡才で苦しいが、天才は天才で終わりなき孤高だ。