rosa412007-02-22

「人が生きていることには意味がある」の残酷さ(3)  
 ぼくが中国に行ったのは87年の夏。海路でめざした上海の陸地はまだ見えないのに、海が一面茶色になったのには度肝をぬかれた。海が姿さえ見せない揚子江色に染められていた。「デカイ場所に行きたい」とやってきたぼくにとっては、まさに胸が高鳴る光景。
 あの旅について書き出せばきりがない。
 強烈だったのは、南京にある第二次大戦中の日本軍による「虐殺記念館(資料館?)」。ぼくの記憶が確かなら、入口に当時の日本の新聞記事が展示されていた。中国人捕虜を斬首した数を競う「勇猛な2人の日本人軍人」みたいなひどい見出しの記事。それに隣接して展示されていたのは、日本軍によって虐殺されたという中国の人たち骸骨の山のショーケース。
 あのときの恐怖感ったらなかった。見回すと、周りは地元もしくは国内の中国人ばかりで、顔つきは似ていても明らかにアジア系の旅行者の自分。「ここで囲まれたら逃げられないな」と思うと、冷や汗が噴き出しそうだった。あのときの息苦しさ、やるせなさ・・・。
 基本は船中泊で重慶まで揚子江を上る、バックパッカー旅。
 黒板に書かれた食堂の中国語メニューを、勘で指差して懸命に注文したこと。ぼくを見てニタッと笑いながら「バカヤロウ」といって右手で敬礼したオジサン。冷蔵庫のない店で出された温いビール。目の前にあるガムを買おうとしたら、「メイヨウ(ない)!」と見向きもせずに一蹴したオバサン。三峡下りの見事な景観や、揚子江に沈んだ見事な夕陽・・・。
 けれど、自分が進むべき方向を失ったぼくにとって、もっと忘れられないのは南京で乗った市内バスでの光景。
 たしか先の虐殺記念館に行った帰りだった気がする。身長165センチ程度の痩せた男が乗ってきた。背中にひとり、左右の手にひとりずつ、合計3人の子どもを連れていた。半袖シャツに膝上の短パン、サンダルばき。
 見るからに大人しそうで、よく日焼けした30代前半風の男は、よく揺れるバスの車内で何にもつかまらず、子どもたちを連れて平然と仁王立ちしていた。
「ああ、旅に逃げてちゃいけない。生活しなきゃ駄目だ、自分の足で立って生活しなきゃいけない」 小柄な父親の毅然とした生き様を目の当たりにして思った。まさか自分でも、そんなところに感激するとは思ってもみなかった。けれど虐殺記念館と同じか、それ以上に、あのときのぼくは胸を打たれた。自分にもっとも足りないものを突きつけられた気がした。
 もちろん、あの父親はそんなこと何も知らなかっただろう。(つづく)