植木等さん逝去に〜イメージを背負って生きること

rosa412007-03-27

 植木等さんと聞けば、ぼくがまっさきに思い出すのはある文章の断片。しかも奇妙な表現になるが、その細部は曖昧ながら、それを読んでぼくが受けた、ある確かな印象だ。けれど、週刊「アエラ」の「現代の肖像」という人物ルポのページで、大先輩の足立倫行さんの文章だったということは、はっきりと記憶している。
 それは植木さんが、どこかの林か森の中を走ってきた場面描写だった。高度成長の60年代を代表する国民的スターは、その取材時すでに白髪の初老の男。それでも彼は激しい息づかいを見せながらも、かつての「無責任男」風な飄々とした様子を見せていて、それを足立さんはとても客観的に書かれていた。
 その文章は、客観的な記述の向こう側に、メディアや大衆が一方的に押しつけたイメージをいまも生きようとする植木と、実年齢相応の初老男性との見えざる葛藤が、確かに伝わってくるものだった。そうか、国民的スターとは、「イメージ」の仮面を生涯かぶって生きていかなくてはいけない人たちなんだと、そのとき初めてぼくは教わった。
 同時に、それを自分の意見としてはではなく、淡々たる情景や人物描写によって表現していた足立さんの文章に、グッときてしまった。そのときの二重の感銘はあまりに鮮烈だったから。
 植木さんの冥福をお祈りしたい。