獰猛なる(1)

rosa412007-03-29

 そうだ、獰猛なものがいる。くしくもそう思わせられる出来事が二つあった。
 先週末、日本橋高島屋近くのフランス料理店
「メルヴェイユ」
に出かけた。久しぶりに再会する友人のシェフが、ベルギーでの修行時代の友人がシェフの店だと誘ってくれたのだ。日曜の夜にも関わらず、30数席ほどの店内は満員だった。
 シャンパングラスにニンジンのムースと、野菜やウニのジュレを重ねてトマトの酸味でつないだ前菜。一見、ハンバーグかと見まがう外観ながら、中身は穴子にパン粉をまぜて揚げてあり、コロッケみたいな食感を楽しませてくれた一皿など、いくつも驚きがあって楽しい夜だった。
 でも料理以上にぼくにとって印象的だったのが、その友人との次のようなやり取りだ。
「じつは今日、朝から何も食べていないんですよ」

「えっ、夕食を食べるために抜いてきたの?」
「ええ、それで少し早めにきて、ついでに高島屋で油絵の展覧会を観てました」

「ふふふっ、いいねぇ。やっぱり、お腹空かしてきたほうが感受性は鋭敏になるか?」
「そうですねぇ、味、匂い、食感や色合いとかを、きちんと自分の五感で感じて、インプットするほうが、ぼくはいいですね。それで最近、いろんなところ食べ歩いていて、8キロぐらい太りました。ヤバイんですよ、マジで」
 そんな彼がつくる一皿一皿は、味はもちろん、どれも静謐(せいひつ)な美しさがあって、ぼくはとても好きだ。
「いい意味で言うけど、”味覚のハイエナ”みたいでカッコイイよ」
 そう話しながら、ぼくには「獰猛(どうもう)」という言葉がうかんでいた。 
以前、有名な老舗料亭で修行後、銀座の和風フレンチ店のシェフになった人を取材したとき、もう先輩の殴る蹴るは当たり前の世界だったと聞いたことがある。そのくせ、その店ではお客ひとりひとりの速かったり、遅かったりするペースに厨房が息を殺すようにして向き合い、もうそのタイミングしかないという絶妙さで、湯気をくゆらせた美しいお皿が運ばれていくのだと。
 その話をすると、国内外のフランス料理の名店で働いてきた彼も、同じように鉄拳制裁に耐えながら、その料理とタイミングを学んできたのだという。
「だから、ぼくみたいな料理バカじゃないと、ホント絶対に続かない職場なんですよ」 
 ありとあらゆる不条理に耐えてくぐり抜けるぐらいの、目指すものへの愛情と情熱の強度が求められる場所がある。獰猛なるハイエナだからこそ、つくることができる静謐な美しさがある。