獰猛なる(2)

rosa412007-03-30

「ぼくは本来、不機嫌な人間なんです。できれば、一日中、自分だけの世界に浸っていたいんですよ。でも、それじゃいけないから、にこやかな顔してるんです」
 突然、日本アニメの巨匠・宮崎駿が怒り出した。それはけっして自らの権威を振りかざす怒りではない。むしろ、ひとりの初老の、モノをつくる男としての、失礼ながらバカがつくぐらい正直な怒声だった。
 その様子を、畳の上におかれたハンディカメラがローアングルで、アゴ髭から下の、あぐらを組んでいる宮崎さんを映している。あのアングルに、撮るものと撮られるものの危うい空気が立ち込めていた。宮崎さんがカメラを向けられることにナーバスになっていたからだ。それでも撮影者としてカメラは向けないわけにはいかない。ただ、撮影そのものを拒絶されては元も子もない。しかも怒っている相手は、あの宮崎駿なのだ。
 撮影者の人としての良心と、プロの撮影者としてのギリギリ決断が、そのローアングルだった。
 NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』の特別編が宮崎駿。次回作品づくりが佳境に入り、都内の仕事場から、瀬戸内のひなびた別荘?に移動してから、あからさまに宮崎さんがカメラを避けだす様子がリアルに記録されていた。
映画というのは自分を暴露してしまうものなんです。裸で人前に出ていくことなんですよ。だから、これは娯楽映画だからと作っていても、実はその人間の根源的な思想がよく出てしまうものなんです。出すまいと思っても出ちゃうんですよ。それで隠して作ると、そのしっぺ返しが本人だけに来るんです。どういうふうに来るかといったら、やっぱり正直に映画を作らなかったというしっぺ返しが来るんです」
 彼の言葉どおり、都内での撮影ではストーリーづくりがうまく進まずに悩む姿も、プロデューサーに一枚の作画をほめられて、子どもみたいな笑顔になる宮崎さんも映っていた。瀬戸内から帰り、100人のアニメーターとともにいざ映画づくりに入ると、彼の横顔はあきらかにオスそのものの精力に満ちていたし。
 作品が誰よりも、何よりも獰猛に作者である自分をひん剥く。その創り手としての諦念と葛藤が、冒頭の等身大な怒りにつながっていた。それはひとりの人間として信頼に足る、とても誠実な獰猛さだ。