倉敷美観地区にて(4) 

rosa412007-04-12

 野村進著『脳の欲望 死なない身体』という本に、アルツハイマー病(認知症の代表的な症例のひとつ)について、こんな研究者のコメントが紹介されている。
「人間の脳の大脳皮質が発達したから、アルツハイマーが出てきたわけですね。人間が長生きしすぎたからだとも言われている。つくづく生物学的には逆説的な現象だと思いますねえ。長く生きすぎた人間に与えられた”業”なのかもしれない(後略)」
 ちなみに、これは「<老い>の逆説」という第5章の一文。さらにこんな文章がつづく。

近代社会が生産性の追求に成功し、物質的な豊かさを実現したからこそ、食生活や医療の向上によって平均寿命が延び、結果として高齢化社会を招いた。その一方で、この社会の産業構造は、消費者集団としての膨大な老人人口をも求めている。

 そんな意見を紹介する一方で、こんな動きにも言及している。

 アメリカではすでに、財政の負担になる老人は「死ぬ義務があり、この世を去るべきだ」とか、「七十代後半以降の老人は、延命治療を正式に禁止されるべきだ」といった発言が、州知事生命倫理学者の口からなされるほど、老人が攻撃の対象になっている。まさに差別の構造である。レイシズム(人種差別)をもじった「エイジズム」(年齢差別反対運動がおきているのは、事態の深刻さをよく表している。

 日本の「老人」観も、このアメリカ的なるものの延長線上にある。必要以上に「若さ」や「健康」が求められ、その価値がメディアなどで喧伝される。ぼく自身の中にも、「成熟した老い」よりも「実年齢に似合わない若さ」をもとめる気持ちはたしかにある。
脳の欲望 死なない身体―医学は神を超えるか (講談社プラスアルファ文庫)
「結局、それは、九十代で富士山に登ったり、八十代で大学を卒業したりする、”ス―パ―老人”というイメージなんですね」―この本の中で研究者は、日本における老化研究の目指す方向をそう語っている。
 しかし、そんな社会はしんどくないか。現役時代は「働かざる者食うべからず」と脅かされ、定年後もなお「生涯現役」信仰を背負わされるなんて。