念願の三岸好太郎美術館(3)〜「虚無ヨリ生活ヲ始メタ」

rosa412007-05-21

 それまで厚塗りの油絵が多かった三岸は、そこからルオーやモディリアーニ、もしくはブラックやピカソめいた作品を残すようになる。昭和初期に「欧州画壇の変化をいち早く取り込んだ」画家として彼の名前があげられるのも、海外画壇の潮流の本質を的確につかみ、素早く咀嚼してみせる能力に長けていたということだろう。
 最晩年の2年間は、さらに目まぐるしく画風が変容する。1933年の「オーケストラ」と題する絵は、テレビで観て、ぼくが魅了された一枚。白い巨大な石、もしくはのっぺりとした雲に、釘かなにかで引っかいたようにオーケストラを素描している。享年となる1934年、それはさらに白い貝の静物画や、蝶々や貝殻の水彩画へと変わっていく。

 虚無ヨリ生活ヲ始メタ
 生活トハ
 イタリヤネルノ白キ触覚ト同様ニ
 嫉妬デアル
 海洋ヲナデル微風ハ
 諸君ノ嫉妬ヲモナデル
 砂丘ノ貝類ハ生活ナキ貝類デアル

 

『蝶ト貝殻』より抜粋

 同じ年に書かれた詩と、それらの絵を見比べてみる。
 海上のヨットを望むかのような窓辺の貝殻、女の裸体を包囲するように敷きつめられた貝殻。あるいは、藍色の海原と群れ飛ぶ蝶、一本の草木もない夜の荒地を舞うオレンジ羽の蝶・・・・・・。それはウスノロな生活からようやく離れ、生活なき貝類になって押し黙る好太郎や、彼岸への跳躍を試みる好太郎にダブって見えて仕方ない。
 その彼が倒れた旅館に残されたのは、妻・節子を荒々しい赤い線で素描した一枚。生きることと描くことを重ね切った31年の軌跡だった。(完)