「もっともっと」時代が終わらない 

 介護のコムスン、英会話のノヴァと、企業不祥事が相次いでいる。
 どちらも顧客不在の、身勝手な儲け至上主義の破綻という構造も似ている。テレビなどの広告を活用して、市場シェアの過半数を占めている点までソックリ。かつて隆盛を誇った消費者金融も、同じ手法でシェアを確保した上での、顧客不在と収益至上主義だった。その結末まで同じ。いわば、「おれおれ」詐欺的商法。
 メディアや広告代理店が、それをしっかりとサポ―トしている。とりわけ広告代理店はそういう企業体質を、口当たりのいい広告でカモフラージュする役割を果たすわけだけれど、こういう社会的事件にまで発展した場合でも、それを助長したメディアや代理店の責任はまるで問われないのだろうか。犯罪の全体像を考えれば、明らかに共犯じゃん。ここまで、同じ詐欺まがいのビジネスモデルの顛末ばかり見せつけられると、そこが引っかかってしまう。
 遠因は、社会が「GDP(国民総生産)」という座標軸しか持たないことにもある。だから、収益さえ上げれば「勝ち組企業」を礼賛する幇間(ほうかん)メディアらが現われる。そしてコムスンやノヴァの節度なき「もっともっと」志向が加速し、拡がっていく。
 ブータンのような「GDH(国民総幸福)」といった価値基準が、企業活動や個人生活の指針にきちんと据えられないと、そんなモグラ叩きゲームは永遠に終わらない。