橋本治著『「わからない」という方法』〜「わからない」の向こう側にある豊穣さ 

 ここ10日間ほど、一冊の新書を寝る前につらつらと読み返していた。すでにあちこちに折り目があるのだけれど、改めてページの端を折りたくなるところがいくつかあった。そこで前回はページの上端を折ったので、今回は下の端を折っていった。なんだか同じ本で新しい発見をしたみたいで、ちょっと得した気分!
 橋本さんは「わからない」ことに恥じ入らず、むしろ、それを水戸黄門の印籠にように振りかざしながら、新たな物事に分け入っていく。その思考と具体的アプローチを書いたものだ。
 ぼくがグッときたところを少し引用する。

しかし、「わからない」を探さずに「わかる」ばかりを探したがる人に、その達成は訪れない。自分が「わかる」と思うことだけをテキトーに拾い集めて、いかにも「それらしい」と思えるものを作り上げる―つまり、その達成は、「似て非なるものへ至る達成」なのだ。

 あるいはこう言い換えてみせる。「わからない」という方法 (集英社新書) [ 橋本治 ]

「わかる」とは、自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再編成をすることである。普通の場合、「わかる」の数は「わからない」の数よりもずっと少ない。だから「暗記」という促成ノウハウも生まれる。数少ない「わかる」で再構成をする方が、数多い「わからない」を掻き集めて再構成するよりもずっと手っ取り早いからである。手っ取り早くできて、しかしその達成は低い―あるいは、達成へ至らない。

 肉厚の大きな手で、自分の背中をポンポンと叩かれたような気持ちになった。同時に、それらの言葉は、近視眼的になる一方の世の中にも突き刺さっている。ただ、「わからない」ことを考え続けるにはそれなりの体力と意志、そして修練がいる。