病と向き合う人の言葉が、ぼくを強く揺さぶる理由
新聞記事の言葉にグッとくることは少ない。だが東京新聞の6日付け夕刊で、そんな幸運にめぐまれた。
2005年に早期の乳がんが見つかった、女優宮崎ますみさんの言葉だ。除去手術後、抗がん剤治療より副作用が比較的少ないといわれるホルモン治療を選択したが、肉体的にかなり辛かったという。
昨年10月、彼女はその治療を中止。彼女なりの戦略によるものだ。自分の年齢、ガン腫瘍の大きさやタイプから、10年後の再発率を調査。今後一切治療せずに再発しない確率60%、ホルモン治療を続けた場合、その確率が十数%高まるとわかったとき、彼女は前者に賭けることを決意した。
それもガンを克服した人たちの情報、たとえばライフスタイルやマインドチェンジ、あるいは免疫力を高めるノウハウなどを集めたうえでの決断だった。ホルモン治療を止めて、自分らしい生活を取り戻したという。
でも、私は今は病気が治る、治らないということだけにとらわれてはないんですよね。そうじゃないところで人生全体のことを考えるともう少し楽になる。いずれ人は死ぬし、がんになったことが人生の中の一つの通過点であって、学びだとすれば、そのプロセス自体がとても大切なことだと思う。
一生懸命治すっていうのはある意味すごく強い執着になる。治らなかった時にすごい挫折感とか悔いを残して死んでいくわけでしょう。それじゃいけないと思うのね。人間にはやはり寿命って決められていると思う。だったらそれまでの間、不安と恐れにがんじがらめになっているよりは、生かされている時間を私は悔いなく生きたい。
死や病と向き合う人の言葉に、ぼくが時折強く揺さぶられるのはなぜか。健康や若々しさにばかり目を奪われるあまり、生老病死を生きるしかないという、いのちのリアリティーを見失っているからだ。
楽しむことに貪欲なだけじゃ駄目なんだ。