雨中の美術館めぐり(1)〜「ヘンリーダーガー 少女たちの戦いの物語―夢の楽園」(原美術館) 

rosa412007-07-14

 誰にも知られることなく、81歳で生涯を終えたダーガーの作品群以上に、ぼくは彼の仕事場の写真に心臓をグニュッと握られた気分になった。いや、正直に書くと、気おされた。
 天井の壁紙は剥がれ落ち、古びた安物のシャンデリアにはいくつも電球がない。彼が生涯のモチーフとした「少女」の写真と絵のコラージュ作品や、宗教画がかけられた朽ちて黒ずんだ壁。下向きにして無造作に重ねられた作品群。絵の具にパレットと、埃をかぶった黒いタイプライター1台。
 広さ6畳そこらの一室こそが、文字通り、彼の生きた世界だった。あの北島敬三さんが作業場の写真を撮ったという一点に、何かあるぞと思って出かけてきたら、やっぱり、その写真の殺伐たる対象にヤラれてしまった。「ヘンリーダーガー」展(北品川・原美術館)でのこと。
 彼は幼くして両親を失い、知的障害者施設に入れられ、17歳でそこから逃げ出してからは、ほぼ一人の友人もできず、その作品も人となりも誰にも知られずに亡くなった。彼は冒頭の一室で、少女をモチーフにまず物語を書き、つづいてそれを水彩画にしてみせたり、写真と絵を組み合わせることに人生のありったけを費やした。
 もし自分がダーガーだったら、と館内を巡回しながら少し想像してみた。・・・発狂して殺人事件でも起こしていたかもしれない、そう思いつくと悪寒がしそうな気がした。すると、この少し陰鬱な明るさをたたえる水彩画を支えた男の強靭な意志が、一連の作品群のあちこちから立ち上ってくるように思えた。
 だが、しばらくして思い返した。違う。たしかにダーガーの場合は極端すぎるけれど、無から有を創りだすことの本質とは、そういうことだ。冒頭の写真のような場所で、一人、ある意味で夢想しながらそのイメージに形を与えること。しかも、それがなくても、誰も、何も困らないものをだ。 
 ぼくは誤解していた。自分の仕事は人に会いに出かけ、その人とつながり、あるいは並走しながら、文字で何かを造形する仕事だと思っていた。たしかに半分はそうでも、残り半分は違う。陳腐なヒロイズムは慎重に退けながらも、そのしみったれた犬死への覚悟をおざなりにしてはいけない。