入江敦彦『京都人だけが食べている』(光文社・知恵の森文庫)〜じつに読み心地のいい「京都人」万華鏡 

 読み心地がいい本って、なかなかない。
 読み応えいうほど重くなく、ひとつの文章が適度な長さでさらっと読めるのに、たおやかな感受性や、鋭敏な洞察力がそこに垣間見える。そう、これ見よがしではなくて、ちらつく感じが不可欠。しかも書く対象に、一見素っ気ないほどの間合いがおかれていること。
 入江さんの文章は、「エスクワィア」などでちらっと読んだ記憶はあるが、一冊まるごと読むのは初めて。一気に読みきって浮かんだのが、その「読み心地がいい」だ。それは、京都の美味を取り上げながら、その対象の記述は最小限にとどめ、あとはエッセイ風な文章で読ませるという構成の賜物。読み手を時に誘い、時に放り出すかのような文章の押し引きも絶妙だ。
 たとえば、京都人は行列が嫌いだ、という書き出しの『蛸虎』のたこ焼の文章。

また京都人は人と同じであることを嫌がる。良くいえば個性的。悪くいえば協調性がない。ゆえにバスや電車の乗降もかなり混沌とした様相を呈していることが多い。これが京都人だけだとバラバラに待っているようでいて、誰が先で自分は誰のあとであるかをしっかり認識しており、乗り物がやってくると形状記憶合金のごとく順番通りに収まっていく。
(中略)
 タブーを破ってまでも、純血種の京都人が行列を作るのは私の知る限り焼肉の「チファジャ」白梅町と、たこ焼きの「蛸虎」くらいである。

京都人だけが食べている (知恵の森文庫) 
 これが全3ページ中2ページ目の終わりころ。ここから表題のたこ焼、もしくは店についての記述が始まる。ただ、これは多いほうで、中には3、4ページの文章で6行前後の場合もある。
 ところで、蛸虎の文章だが、この店で並ぶ人たちも、店の内外、椅子に座る人、壁にもたれる人とバラバラ。だが順番が混乱することはけっしてないという。

 ひたすら順番が来るのを忍従するのではなく、おいしいものができるのを思い設けて過ごす時間は、煮込み料理に味を含ませる”間”のようなものだ。京都人は待たされるのは嫌いだが、待つのは存外平気なところがある。日常のなかにも”間”がいっぱい潜んでいる。短気で利己的でプライドが高い彼らには欠かせないガス抜きなのだ。

 プライドは高くないつもりだけれど、”ええかっこしい”だから面と向かって文句も言えないとか、母親が京都の田舎育ちである僕は、この本を合わせ鏡に、自分に巣食う京都人的メンタリティーをまざまざと見せつけられた。