太陽と北風 

 自分と眼を合わせず伏し目がちな相手に、少しずつその目線を上げさせて自分に正対させたときの、インタヴューワーの喜びはとてつもなく大きい。
 ぼくは「あなたの話をぜひ聴きたいんです」という熱意を、ときに早口になる舌ったらずな言葉でひたすら彼に送りつづける。相手の資料や関連書籍も読んで、そのディテールを織り交ぜながら質問を伝え、相手の心を揺さぶろうと試みる。
 やがて、ふいに相手がちらっちらっと目線を合わせるようになる、あるいは、うつむいていた顔が少しずつ上向いてくる。こちらが話す時間より、相手が話す時間が多くなる。さらに相手が乗ってきて、机や資料をバンバンと手で叩きだす。彼の切実なるものが次第にあふれ出す。
 すると、ぼくも呼応して、「面白い」、「なるほど」と強く反応する。けっして嘘ではない。相手に集中することで、ぼくの言葉に対する感度が高まり、小さなことがより面白く、あるいは興味深く思えるだけだ。それはライブで、相互の音に感応して高まっていく音楽家たちのエモーションに似ている。二人の間の見えない熱の塊がふくらみ、ぼくと彼の間でお互いの切実なるものが行き交うようになる。まるで童話「太陽と北風」さながらな時間のあとで、その人にしか語れない言葉と軌跡、喜怒哀楽が残される。それを拾い集めて、ぼくは文章に整える。
 今日は合計2時間半のインタヴューと、20分ほどの撮影をおえて建物を出ると、5キロほど走ったように身体は火照り、心地よい疲労感につつまれていた。地下鉄に乗り、窓ガラスに映る、どこか放心したような男の表情をぼんやりと見つめる。