ナット・キング・コール

rosa412007-10-07

 少しすすけたような青空の下、暮れなずむオレンジ色のかたまり。最寄り駅からの帰り、遊歩道に入ると突然それがあらわれた。遊歩道には、ウォーキングする初老の男性、彼を静かに追い越す若い女性ジョガー、補助輪をつけて遊歩道を横切るミニ自転車練習中の男の子などが、休日の平穏さをかもしだしている。が、夕陽のせいで逆光になると、行き交う人たちは皆一瞬、どこか影絵めいてみえる。
 しばらく歩くと、前方に車椅子の女性と、杖をついてゆっくりと進む男性の一組が目に入った。男性の歩き方は、脳卒中系の病後のような、ぎこちなさに見える。近づくと二人とも白髪で、言葉を交わすこともなく、ただ沈む夕陽に向かって黙々と進んでいる。どこかおごそかな光景だったが、夕陽と重なると、やはり二人も影絵めいた。ぼくは立ち止まって、その老夫婦の進むのをしばらく眺めることにした。
 その日、60代半ばの男性を病院に見舞ってきた帰りだった。
 脳梗塞で倒れた彼は、幸いに早期発見で、身体上は左手の少ししびれが残った程度。脳も大丈夫で、いまは普通に話すことも歩くこともできる。奇跡的な事例だと医者からもいわれたよと、彼は苦笑いしながら口にした。今春に偶然お会いしたときより、顔つきはふっくらとされていて、顔色もよかった。すでに心筋こうそくで2度ほど倒れられ救急車で運ばれていて、今回は脳梗塞で意識を失われたのだった。
脳梗塞で倒れると、しゃべれなくなったり、身体も動けないからさ、入浴時は女性看護士さんたちに身体を洗ってもらえるんだよ。だけど、ぼくの場合は両手ともすぐに動くようになったから、自分で洗ってくださいって言われてね、それが残念だったよ」
 そんな軽口がきけるほどに元気になられていた。
 ただ、入院当初は、自分も排便が自力でできず、看護師さんの手助けをうけていたこと。同じ病棟には脳血栓で動くことも話すこともできない40代の男性がいて、彼のまるで動かない両手を、60代の父親が見舞うたびに懸命に手でさすり、マッサージしているという話も聞かされた。以前、脳梗塞で左半身が麻痺され、会話もできなくなった親戚を見舞ったときのことを思い出した。2時間ほど雑談をして、近くのバス停まで見送っていただき、握手して別れた。さほど握力は感じなかった。去年のうちの両親の入院といい、誰かを見舞った別れ際、なぜか握手することが多い。
 しばらくすると、先の遊歩道の夕焼けは跡形もなく消え、あの老夫婦の背中さえ見失った。昼と夜の狭間の、あの、物事のあらゆる輪郭が曖昧になる時間帯。まず家にたどり着いたら、濃い目のコーヒーをいれ、トースト1枚をこんがりと焼き、バターとブルーベリー・ジャムをたっぷりと塗って食べよう。それにナット・キング・コールの歌が聴きたい。