十三夜という感性 

rosa412007-10-23

 きれいな夕方、ウォーキングと少々ジョギングに出かけた。近くの遊歩道から公園へ。ウォーキングを基本に、気が向いたら軽く走る。走ることで生まれる風を切る感じ、あるいは「気持ちいい」という感情を、少しずつ思い出そうとしてみる。 
 公園にたどり着くと、夕暮れから一気に夜へ向かいだす。少し左側が欠けているけれどきれいな月がのぼる。その月を右上に見ながら進むと、りんりんと虫たちの大合唱もはじまる。唐突に満開の秋。
 自宅に戻ると、23日は十三夜といい、十五夜ほどではないが名月の夜だとニュースで知る。満月ではないけれど、しかも欠けていても美しい月を「十三夜」と呼び習わして愛でる。そういう感性は、織部焼きの歪みや、骨董にモダンを発見できる日本人のものだ。「完璧」や「満点」ではなく、むしろ「適度」や「未完成」や「変てこさ」にこそ、味わいを見い出し、かっこいいと思うダンディズム。
 近頃の新聞やニュースは、うんざりするような記事ばかりだけれど、たぶん、十三夜という感性があれば、もう少しマシなニュースが増えるような気がする。そういえば、左側が欠けた十三夜の月は、今にもどこかへ転がっていきそうな不安定さゆえに、ダイナミズムをも感じさせる。すると、夜の訪れとともに一斉に鳴きだした虫たちの声さえ、どこかに転がっていきそうだった。
「虫の音も 列成し転ぶ 秋の坂」
 今月24日から来月3日まで、@スチャラカを休載します。