大人の見本 

 <大人の見本>と呼べるような知人を持っている人は少ない。
 ましてや近頃は、社会不正を働いて頭を下げる<子供大人>ばかりだ。一方、舌打ちしている人たちに囲まれていると、知らないうちに自分も同じ真似をしている。黒澤明の『生きる』に出てくる、市役所のオヤジ職員たちみたいになると、まるで金属の鋳型みたいに、ちょっとやそっとでは元には戻れない。だから環境は恐い。
 
 60代のご夫妻と、ある小料理屋のカウンタ―に並び、楽しい夕食をともにした。その際、胸に残ったことを書いておく。中学や高校時代の同期生たちとひさびさに再会を果たし、彼らが美味い料理や酒の話に興じるのに辟易としたというご主人は、近頃は極力、そういうものは口にしないようにしているという。

 歳をとれば、あるいは金があれば、誰でも美味いものにはくわしくなる。60代ならなおさらで、そこで新たに美味いものを遠ざけるという抗い方。あるいは、人生への身構え方とでも言おうか。ただのへそ曲がりと否定するのは簡単だが、そういう意気地が自分を創る場合もある。あわただしい年の瀬に、20歳近く年長の方から貴重な視点をいただいた。