佐藤卓ディレクション『WATER』(1)(21_21 DESIGN SHIGHT)〜一冊の知恵の書めいた展覧会

 昔、北海道に住む樹木医の方と、彼が世話をしている老木などをめぐったことがある。テレビでそのオジイサンのことを知り、どうしても会いたくなって、事前に電話一本だけして5月の連休に押しかけた。仕事ではない。ただ、そのとき心がどうしようもなく波立って出かけた。
 彼が長年世話をしている、樹齢300年超のミズナラの大木を前にしたときのこと。オジサンは、その木肌に耳を当ててごらんと、ぼくをうながす。言われた通りに、木のひんやりした触感をおぼえながら、耳を当ててみると、チョロチョロチョロチョロと、ミズナラが地中から水を吸い上げる音がきこえてきた。「それが木の声だ」と、彼はぽつりと言う。このチョロチョロという音とオジサンの言葉を、ぼくは絶対に忘れたくないと思った――。
 

 佐藤卓ディレクション『WATER』の会場内を、「へぇ〜」とか「うわっ!」とつぶやいてうろつきながら、ぼくはそのことを思い出していた。すると、「木は立ちあがる水 森は宙に浮かぶ湖」と題する文章が目に入った。それは、まさに「木に抱きついて、耳をあててみると」という文章から始まる。以下、一部引用させていただく。

柳の木は、夏の1日に200ℓもの水を吸い上げる。
1本のベイマツは、いわば3t(3000ℓ)の水の柱。
これだけの水を大地から吸い上げ、
空中に何十メートルも持ち上げたうえに、
それを天空へと大量に蒸散し続ける。


もしも水だけを青く浮かび上がらせることが
できるような透視メガネがあったとしたら、
きっと木立は、そこら中で吹き上がる
噴水のような水柱に、
そして森は、空中に浮かぶ深さ何十メートルもの
湖のように見えるはずだ。
(後略)

 この文章は、<「木を伐(き)る」ということは、この天地をむすぶ地球の水みちを切断することなのだ。>と結ばれていた。まいった。「木の声」程度で満足してきた、その矮小な感性を、こともなげに踏み潰されたような気がした。(つづく)
 ちなみに『WATER』展は今月14日まで。残り3日間です。