NHK総合ETV特集「金子光晴・家族の戦中詩」〜「むこうむきになっているおっとせい」 

 今の仕事をするようになって、他界されるまでに一度会っておきたかった人が数人いる。詩人・金子光晴さんもその一人。うちの本棚にも、光晴全集のうちの3冊と、詩集や評論など7冊がある。
 
 昨夜、NHKでその光晴一家の特集番組をやっていた。戦中、一人息子を徴兵にとられまいと、無理やり喘息にしたり、山中湖畔に疎開して近くの医者に結核のニセ診断書を書いてもらうなどして守り通した。その時期に親子3人でつくった手書き詩集が、最近発見されたという。その詩集をもとに、当時の家族の暮らしや世の中への抵抗の軌跡を追ったドキュメントだ。
 その番組でも、光晴の詩「おっとせい」の一部が引用されていた。その詩句が今もなお、不思議なほどつやつやとしていて、なおかつ鋭利さを失っていないことにグッときた。番組内では、戦後に書かれたと説明されていたように思うが、むしろ今の方が、より持ち重りのする言葉として響きわたるように思う。以下、一部引用する。

(前略)
そいつら。俗衆というやつら。

ヴォルテールを国外に追い、フーゴー・グロチウスを獄にたたきこんだのは、
やつらなのだ。

バタビアから、リスボンまで、地球を、芥垢(ほこり)と、饒舌(おしゃべり)で
かきまわしているのもやつらなのだ。

嚏(くさめ)をするやつ。髭のあいだから歯くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人だとさけんで、がやがやあつまるやつ。

 だが、光晴はけっして一人で高みの見物を決め込むわけではない。俗衆を「おっとせい」になぞらえた、この詩は次のように終わる。

(中略)
おいら。
おっとせいのきらいなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むこうむきになっているおっとせい」

詩集 「三人」

詩集 「三人」