生き物としての元気(1)〜見えない傷み 

 いたっ、痛たたたっ・・・、ああ痛〜ぁ。
それは予想外の激痛だった。マラソン翌日、取材前にあるマッサージ治療院に出かけた。肩から腰、そして太腿の裏側を揉んでもらっていたときだ。筋肉の奥に隠れていた、それは強烈な痛みだった。


 その朝、疲労回復のために血流を良くしようと、ぼくは30分ほどのウォーキングに出かけた。だが、多少の筋肉痛はあるものの、拍子抜けするほど普通に歩けた。初マラソンのダメージから、翌朝になったら急に歩けない、なんて事態も想像していたので、正直拍子抜けした。一瞬、その日の午後マッサージの予約を入れていたことを、後悔したほどだ。


 ところが、冒頭の通り、太腿の裏側を筋繊維にそって斜めに揉まれると、猛烈な痛みが全身を走った。「かなり、ここが疲労してますねぇ。それでも、さすが柔らかくていい筋肉ですよぉ」と、H先生。
 
 身体というのは、向き合えば合うほど面白い。
 表面的には普通に歩けるのだけれど、筋肉の奥は明らかに42・195キロ分のダメージを吸収して、過度に強ばっていた。先生の言葉を借りれば、その筋肉の柔らかさゆえに、まるでスポンジが、吸った水分をその奥へと包み隠すかのように傷みを隠していたことになる。
 それゆえの痛みが、ぼくにはたまらなく嬉しかった。(つづく)