考える脚(2)〜一見無関係とも思えるディテールにこそ 

 じつは、皇居での練習中に直感が働いたのは2度目。
 東京マラソン前、場所はちょうど半蔵門からの下り坂だった。身長185センチはありそうな男性が、軽くぼくを抜かした。彼はその背中で、まるで両肘をブランコのように振ってリズムをとっていた。そのくせ、背筋は伸びて、胸もしっかり張っているので、上体は少しのブレもない。しかも彼も速くて、どんどん遠ざかっていった。


 あのときも、これだ!と思った。
 金哲彦さん著の新書では、肘を後ろに引く際に肩甲骨を背骨近くに寄せる絵が添えられていた。肩甲骨をひねることで、上体が自然とねじれ、反対側の脚が前に出る。その際、背筋は伸ばしたままで上体が適度に前傾させられ、なおかつ骨盤も少し前傾できれば、太腿の裏側を使ったフォームになる、という理屈。イメージとしてはわかるのだが、それで上体が左右にブレてしまっては意味がない。自分でも試しにやってはみるだが、それが正しいのかどうかイマイチ腑に落ちなかった。
 それが少々誇張しすぎではあるが、イメージどおりの肘の使い方を目の当たりにした。試しにやってみると、たしかに体重が太腿の裏側にかかっている実感があった。そう、いつも自分より速いランナーから直感をもらう(^^;)。
 

 2度の直感がスリリングなのは、どちらの発見も一見まるで無関係とも思えるディテールにヒントがあったこと。より軽快に走るために肩甲骨の動きが大切だなんて、あるいは、身体の上下動を減らすために歩くように走るだなんて、ぼくはそれまで想像さえしたことがなかった。
 ぼくは本の情報を、自分なりの試行錯誤をへて、知恵として取りこむことができた。この<情報→行動→問題意識→知恵>というプロセスは、おそらく他のジャンルでも応用できる。ぼくは今ぼんやりとだが、そう確信している。一見無関係とも思えるディテールにこそ、問題のヒントを探すクセもふくめて。
 だから二重の意味で嬉しい。(つづく)