考える脚(3)〜ケーハクな脚こそが近道 

 フラメンコの練習から戻った奥さんと、桜見物に近所に出かける。 
 走るフォームが変わって、普段の歩く姿勢も変わった。今日も奥さんから、姿勢が良くなったとホメられた。以前は、時おり猫背になっているとダメ出しされていたのに。
 

 自分では、速く歩くような走り方に変えてから、歩くときもさらに上体を前傾させて、脚ではなく、お尻の筋肉で歩いているイメージなのだけれど、今日も「大丈夫、とくに前のめりってわけじゃないよ」と彼女。


 昨秋の腰痛に懲りて始めた補強運動も、今では1日1回やらないと気持ち悪い。腕立て伏せは80回、腹筋は120回、背筋は60回できるようになった。なんとか3種目とも100回できるようになりたい。腹筋と胴回りが締まったおかげで、身体も少しずつ逆三角形へ。走った日は、夜もぐっすり眠れる。 
 むふふふふっ、いいことずくめじゃん(^_^)。
 

 今週、取材である研究者にお会いした。なかなかスリリングなインタヴューだったが、その際、人間の意識についての話題になった。今回のブログのテーマとの関連でいうと、彼の話で興味深かったのは2点。
  
 まず、人間の意志決定はすごく保守的だということ。
 今までの自分の経験や行動パターンと違うものを、脳は無意識に排除したり、見ているはずなのに見えなくなっていたりする。意識は、無意識下でそういう辻褄合わせをしてしまうことが、脳研究で証明されている。だから、その保守性を意識しながら生活する必要があるんだって。


 その話ともつながるが、もう一点は、「人は日々アクセスしている情報に、自分で思っている以上に縛られているということ」。パソコンと向き合って終日2チャンネルに浸っている人と、田んぼや畑と向き合っている人は、その思考もおのずと違ってくる。人は、自分の経験や知識にもとづいて直感する。脳の中の線が、ピピッと何かにつながる。だから、そういう準備をしていない人は、何のインスピレーションもこない。


 先日、FM放送で、ある女性脳科学者も似たような話をしていた。
「素敵な異性との出会いがないと言う女性がよくいるが、その人は本当は出会っているんだけど、恋愛の直感が働いていないんです。そういう人は、まず自分が気になったものや好きだなと思ったら、そのモノがある場所に出かけたり、アクセスしてみること。そういう行動を反復しているうちに、恋愛の直感力も取り戻すことができる」


 ぼくみたいに何事も深く考えられないヤツが、ケーハクに踏み出す一歩が、自分の意識の保守っぷりに適度なヒビを入れてくれる。前々回から書いてきたように、走ることもかなりアンビバレンツ(両義的)な動きだけれど、人間もまたそういう生き物で、深く考えられないあさはかな脚こそが、じつは考える脚への近道。(おわり)