質感(テクスチャー)というバイブレーション


 「ありがとう」はむずかしい。

 3時間のスロージョグ終了後、夕食をかきこんで、ちょっと居眠りしようかなとソファに横になってると、NHKの番組が始まった。アンジェラ・アキの「手紙」という曲が、同局の中学生合唱コンクールの課題曲に選ばれたらしい。で、彼女が、同曲に取り組む複数の中学校を訪問するという趣向だった。


 どの訪問先でも、アンジェラがリクエストしていたのが、将来もしくは3学期の自分に向けて手紙を書くこと。それぞれの手紙を全員の前で朗読して、手紙という曲の情感を手作りしてほしい、というのが表向きの理由。だが、番組を観ていると、手紙を通して一人一人が自分をさらけ出し、互いの絆を深めてほしいという意図が隠されていた。


 で、本題に入る。ある中学校の女子生徒が、障害者の家族を抱える環境を率直に手紙にした。その朗読を聴いた後、アンジェラが少し間合いをとって口にしたのが「ありがとう」だった。この「ありがとう」が、じつに良かった。それは社交辞令とは正反対の、濃縮果汁100%超の彼女自身が詰まっている。そんな懐深さと温かみのある「ありがとう」だったからだ。彼女自身、徳島でハーフとして生まれて味わってきた違和感やいじめの辛さ。同級生が羨ましがる金髪が、自分では嫌で仕方なかったことなどを、中学生たちの前で率直に語っていた。


 ああいう「ありがとう」を、今の自分が言えるだろうか。・・・正直、自信がない。誰でも言える「ありがとう」だが、されど誰にも言えない「ありがとう」がある。それを唯一のものにしているのは、その人の生きてきた軌跡が乗っかった質感。それは目には見えないけれど、心にはしっかりと届くバイブレーションをたずさえている。言葉を言葉たらしめているのは、それがまとう質感だということに気づく。


 もちろん、これは声音、声の高低や太い細い、感情や言い回しなど、さまざまなもののミクスチャーだ。それをどう書き言葉で表現できるのか。それは今まで何度か書いている「行間」とも重なる。