愛媛・松山を徘徊する(2)〜3000年と61年の狭間をゆらゆらり 

rosa412008-05-16



 道後温泉を出て、再び路面電車でホテルへ戻る。朝食とチェックアウトを済ませ、「坂の上の雲ミュージアム」へ。松山出身の秋山兄弟と正岡子規を主人公にした、司馬遼太郎の人気作「坂の上の雲」を記念した施設。
 ここのユニ―クさは、小説「坂の上の雲」に対する有名無名、それぞれの人たちの声を、文章や俳句、絵や写真という形で広く募って構成されている点(右上写真は、新緑を大胆に取り込んだミュージアムから見た光景)。


 ぼくが最も印象的だったのは、展示されていた小説「坂の上の雲」のあとがき。「民衆はいつも景気のいいほうで騒ぐ」という一文から始まる。


 司馬さんは、当時の日本政府は、大国ロシアとの戦争には否定的だったにもかかわらず、世界認識に欠ける民衆の間に広まった「好戦論」に抗いきれずに開戦に踏み切る経緯を指摘。そこで日本政府は政治力を駆使。対ロシアへの先制攻撃に集中して、その戦果をもって停戦合意に持ち込む。いわば、15ラウンドのボクシングの序盤2、3ラウンドの優勢をもって判定勝ちを見事手にする。そんな離れ技を見せたと書く。

 戦後の日本は、この事実を絶対化し、日本軍の神秘的な強さを国民に喧伝してみせた。(中略)戦後の日本は、この冷徹な(ロシアとの)相対関係を国民に教えようとせず、国民もこれを知ろうとしなかった。



 現実をあまり踏まえない、お調子者の国民性を見据える慧眼だ。それは、自民党保守派へ刺客を立てるという小泉式演出にまんまと熱狂させられた上で、自ら進んで格差社会に引き込まれたくせに、小泉が消えた後に、たちまち当惑するというおバカ加減ともつながっている。あの「純ちゃ〜ん」とわめき立てていたオバちゃんたちは今、韓流スターでも追いかけているのだろうか。


 司馬さんの長編は、高校時代に『竜馬がゆく』しか読んだことがない。ただ、『坂の上の雲』が、団塊世代の男たちのロマンチシズムを、おおいにかき立てた作品だということは知っていた。今年再びNHKドラマにもなるらしい。そのあとがきに、懲りない国民性に対する、元祖人気作家のこんなシニカルな視線が添えられていたとはね。