空を見上げる時、足元を見つめる時(1)〜形容詞以前

 以前、「サタカフェ」に出ていただいた伊勢華子さんと西村佳哲さんが、お2人でトークショーをやられると聞き、ヌースフィアのF社長と聞きに行った。話が進むにつれて自分の身体の力みが消え、二人の言葉がストン、ストンと胸の底におちてくる。おだやかな声音だけど、中身のつまった言葉のマッサージで、心身ともに揉みほぐされているような気がした。


 たとえば、西村さんがキーワードにした「形容詞以前」。
「きれい」とか「うつくしい」と形容詞をつけてしまうことで、そこからこぼれ落ちてしまうものがある。なぜなら、「きれい」には、少なからず「きたない」や「みにくい」も含まれていたりするから、という指摘にはドキッとさせられた。ぼくの仕事こそが、そうして形容詞をぞんざいに貼り付けていく作業だったりするから。


 たとえば、100%の「NO」なんてまずない。「NO」の中にはかならず、数%から数10%の「YES」が含まれているのと同じ。形容詞以前の、そういう混沌としたものにこそきちんと目を向けること。対峙すること。そして表現すること。それを「きれい」と思うか、「きたない」と思うかは、読み手へ委ねることの大切さに気づかされた。


自分の仕事をつくる

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