大澤真幸『不可能性の時代』(2)〜他者性を抜き取った他者


 ひつこくて、すまん。だが、どうしても書いておきたい。
 この本で、大澤さんの「オタク」についての言及部分。

 他者の他者たる所以は、差異性にこそある。他者についての経験は、何であれ、差異をめぐる経験である。そうであるとすれば、オタクが欲求している他者とは、他者性を抜き取った他者である。

(中略)

 このように考えれば、オタクが他者から撤退しつつ、他者を志向するという、表面上の矛盾は、容易に解消される。オタクは、自身と類似している限りでの他者との交流や連帯を求め、自身との差異を際立たせるような他者からは撤退しようとしているのだ。

 教室や組織、あるいは趣味や、人の好き嫌い。そういう同じ部分ではつながれても、違う部分ではつながれない。そんな偏狭かつ閉鎖的な人間関係しか切り結べない、あるいはいつの間にかそうなってしまった人たちにも、まったく同じことが言える。ネット空間にあふれかえる大半のものも。


 つまり、オタクとは、イマドキの日本人の、少々デフォルメされた自画像だということ。


不可能性の時代 (岩波新書)

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