シンプルの強度(3)〜出光美術館『ルオー大回顧展』


 あらためて、小林秀雄の『ルオーの版画』という文章を読み返すと、彼はルオーの版画しか部屋に飾っていなかったという。文中で、「ミセレーレ」シリーズの日の出の画が部屋にかかっていることを明かし、その絵について述べている。少し長いが、引用しておく。小林さんのギロリとした目ん玉が、行間から屹立してくるかのようだ。

地球は地層を剥き出し、荒涼たる姿だが、よく見ると、鳥が一羽、敢えて明鳥とも呼びたいような優しい姿で舞っている。人間達はもう沢山生まれていて、地表の何処かに隠れてるように見えてくる。「ミセレーレ」という言葉、キリスト教に関する私の浅薄な知識の片隅にあるこの言葉は、驚くべき版画技術が創り出した奥行の、奥の奥の方で、不思議な音と化して鳴る。独りで机に座っていると、己の心に面と向かう事が多いが、音は、確かに心の奥の奥の方で鳴っているから、聞き損いようはない。私としては、それは、さしづめ、思うところを思うようにやり遂げている、大画家の強い静かな喜びと思える。

(旧仮名遣いなどを現代語に直しました)